第73回マツタケ人工栽培究極の会 令和7年10月11日の記録
マイタケの収穫です。
昨年の11月から始めて、足掛けまる1年
ついに、初収穫の日を迎えました。


上は、10月2日の画像
下は10月11日、満を持して寒冷紗(鹿除け)を開ける瞬間です。

↑ 奥から奥から、藤田利幸さん、大島教授、田中康一社長の姿。
左の、色の濃いのは若くて食べごろです。ぎゅっと絞ったら
水が滴ります。








このホダ木を土に埋める方式で、今後2~3年は舞茸が収穫できるそうです(吉原さん談)。
この日の参加者は、大島敏久さん、田中康一さん、藤田利幸さん、吉原孝次さん、そして私・野村龍司の5名でした。
なお、藤田博美さんと小松陽三さんは、尺八の演奏会(演者)のため欠席とのこと。
さて、肝心の味のほうは……
「……」「申し上げ難い」 「10月2日頃のほうが、味は良かったはず」との声もありました。///
今年は、昭和100年。
かつて1968年(昭和43年)には「明治100年祭」が各地で行われ、 1940年(昭和15年)には「紀元2600年祭」が国を挙げて開催されました。
それに比べると、今年の「昭和百年」は、まったく行事らしい行事がありません。
紀元2600年祭は皇紀による国威発揚、 明治百年は維新という革命revolutionの記念――それぞれ意味がありました。
では、昭和100年の意味は? 我々昭和生まれにとっては、ただ一つ。
「満年齢を計算しやすい」という利点 これに尽きます。
たとえば私は昭和34年生まれなので、100-34=66。 誕生日を過ぎて、満66歳です。
ちなみに昭和64年はわずか6日間。 1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、以降は平成元年。 平成31年は4月30日までで、令和元年は2019年5月1日から始まりました。
舞茸や 昭和も遠く なりにけり ///
10月は丹波の山に松茸がなる季節。 そして、ノーベル賞の発表月でもあります。
今年は、ノーベル化学賞に北川進教授、 ノーベル医学生理学賞に坂口志文教授が選ばれました。 いずれも、わが京都大学の出身です。
北川教授曰く、成功とは「一つのことを、継続して追究すること これに尽きる。」
ただし、私の考えでは但し書きが必要です。
「ただし、飲む・打つ・買うを除く」
アル中で、Gamble addictionの私めが衷心より付け加えさせて頂きます。///
1999年から2005年、私は京都・宮川町界隈で雀荘を営んでいました。
向かいには銭湯「団栗湯」、近くにはお好み焼き屋「福助」、スナック「幸恵」がありました。
私は時折「幸恵」のカウンターで、 「てびち」や「ミミガー」を肴にビールを飲みました。その「幸恵」での話。
毎週金曜日、同世代の物静かな男が一人、仕事帰りに現れ、 鞄を預けて銭湯へ行って、風呂上がりに静かにビールを愉しんでいました。
私は隣に座っても、一度も話をしたことがありません。 その男を、幸恵のママは「こうちゃん」と呼んでいたのです。
2002年10月初め、彼は突然姿を見せなくなりました。 団栗湯にも、スナック「幸恵」にも。
その男の名は――田中耕一。 2002ノーベル化学賞・文化勲章受章者。
私と同じ富山中部高校出身。昭和34年8月生まれ。 私は昭和34年2月生まれなので、2年間、同じ校舎に通っていたことになります。当時2人とも43歳。
ちなみに、同姓同名の田中康一さん(神戸大学出身)は、わが「マツタケ人工栽培究極の会」の会員です。///