12月21日は、京都府立植物園北門の集合場所(※1)迄、三重県亀山から柴田勝さんが高崎広さんと遠路2人で来られていましたが、柴田さんは、R162(周山街道)の赤橋から奥へ車で行けないとの事で、現地集合者は、高崎広、田中康一、小松陽三、片上功、吉原孝次、藤田利幸、藤田博美、今海、才村、高瀬尚文、渡辺主税、野村龍司の、全12名でした。
柴田さんが来られる際は、次回から、赤橋以降 僕が運転します。
2017.12.16の記録「まあ出んやろね」
自然が相手だと、人間関係にも悩む事がないのでしょう。
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん(梁塵秘抄)
例えば、日時と場所を指定して集まって、
4人でマージャンを延々とやっていて、疲れてくる。
みんな真面目な顔をして、頑張っている。
いつから始めて、いつ迄やるのか、
分からなくなってきている。
誰もやめると言わない。
「ロン‼️」唐突に、誰かが、アガって、
振り込んだ人は、相手の手を確認して、点棒を払う、
延々と、共通のルールの下にやっているが、
全体として、生産的ではない。
時間も金も奪う。
ゲームとして面白いからやるのか?
偶(たま)に勝つからやるのか?
それとも、敗けるから、次こそはと、
新たな手にチャレンジするのか?
コミュニケーションのツールとして
マージャンをやるのか?
動機(手段と目的と言い訳)が綯交(ないまぜ)になって、
惰性で続けているのか?
僕は、若い頃から、共通のルールの下で、
敗けても敗けても、ルールと秩序を守る
ギャンブラーに敬意を持っている。
決して、アホだとは思わない。
(顔見知りの)人とのコミュニケーションは、大切だ!
ところが、マージャンは、誠に生産的でない。
「生産的ではないからやるのだ」とか
「始めっからヒマ潰しにやっているんだ」
と言われたらそれまでだが、、、
この「マージャン」「ギャンブル」のところを
「マツタケ人工栽培究極の会」と入れ替えても、
マツタケ人工栽培の真理に近づいている
(生産的だ)という実感が得られないので、
僕は、同じような感慨(或る種 虚しさ)を覚える。※2
※1
未だ、ヤマボウシの実が生っていたので、例によって、獲ったら、遠くから、植物園のおばさんが「獲ったら、ダメ〜」と声を張り上げていた。
僕は、このヤマボウシ(実が大きく成る栽培種)の種子を植えているのだが、未だに、芽が出ない。「ルートン」か「メネデール」を添加してもダメかなぁ〜
・・・と、ここまできて気付いたこと、「時期や温度が大事」なんだ。
※2
ノーベル生理学賞の山中伸弥さんの講演録 のVWの話『ヴィジョンとは長期目標の事です』を考えると、
Vision & Work hard だから、失敗を恐れず、数多くの仮説を立て、努力と実践の末、10〜100の失敗を経た上にしか、研究成果が出ない!という事。
「マツタケ人工栽培究極の会」は、トライアンドエラーのトライが少なきに過ぎる。
そして重要なのは、ハードワークだけでなく、Visionを持つことだ。
結局、「何の為の『マツタケ人工栽培究極の会』か?」という問いに対しての答えは
「成功すると科学の進歩(社会貢献)となり、成功しなくても失敗の記録を残す事で、
誰か次の代の成功者の礎になるという確信が持てる」と、僕は考える。
それが出来れば徒労や虚しさが解消されるのではないか?
Vision & Work hard は文法的にはHave a vision & work hard が正しいので、ロバートメイリー教授は、英米の人ではないのかも、、、。